組合員訪問記の記念すべき第一回は、この方をご紹介します。
三浦 裕 准教授
(みうら ゆたか)
【所属】医学研究科分子神経生物学分野
1)研究者になったきっかけは?
小学生時代に愛読していた科学グループという雑誌の付録で実験ばかりしていたことかな。小学校5年生ぐらいの頃、過マンガン酸カリュウムに過酸化水素水試験官に入れて素手で抑えて振っていたら、手が紫色に焼けてしまった失敗を覚えています。当時から、好きなことを好きなだけやっていました。
研究者的な雰囲気が出てきたのは、カナダのカルガリー大学への留学が一つのきっかけだったと思います。しかし留学中も実験に失敗ばかりしていて、おもうように研究は進まずに、研究を続けて生きていける自身はまったくありませんでした。それでも楽しく5年間もカナダで研究三昧をしていた後に、日本の母から「父が癌の手術を受けるからいちど日本に帰ってきてくれ」という知らせが届きました。私が留学してすぐに父は癌に気がついて内視鏡的手術を繰り返していましたが、最後に開腹手術が必要になったということでした。留学したばかりで、癌の話をすると私が留学先からすぐに帰ってきてしまうと思って秘密にしてあったらしいのです。私は親不孝を痛切に感じて、なんとか日本に帰ろうと思いました。大学で拾ってくれる先生がいて、研究職につけました。しかし研究助成金もまったく無く、他の先生から分けてもらった助成金をつかって、自分なりの実験だけはしていました。いつの間にか研究者として外から見られているようになりました。
自分では立派な研究者という意識はまったくありません。周囲にほとんど無視されながら、それでもずっと同じことを考え続けている忍耐力は持っているようです。自分への評価点は非常に低く、自分への不満ばかりがあります。早く立派な研究を完成させたいと願い、さまざまな仮説を立てる間はとても楽しい。しかし、その仮説を科学的に実証するまでの作業は孤独で辛い。
2)研究分野は?
転写調節因子(遺伝子のクローニングからその機能解析、そこから翻訳されてできあがるタンパク質の安定化機構)です。
αフェトプロテインというタンパク質は正常肝臓細胞では発現量はゼロです。しかし胎児と肝細胞癌では大量に産生されています。
αフェトプロテインの遺伝子のスイッチの研究をすると、発生分化、癌化のメカニズムを遺伝子レベルで理解できる可能性があると考えて、留学先のカナダのカルガリー大学で今の研究を始めました。それが思わぬ方向に発展しているから面白いのです。クローニングした遺伝子の産物ATBF1は400kDaの巨大タンパク質です。それに対する抗体をいろいろ作製して、細胞内局在を調べていたら、まったく理解できな現象をみつけてしまいました。つまりATBF1の頭が細胞質にあり、胴体が核の中にあり、尾が細胞質にあるような細胞がみつかったのです。使った抗体が間違って、他のタンパク質を染めているのだろうと最初は考えたのですが、じつは巨大タンパク質が細胞の中で、弾道ミサイルのように、頭、胴体、尾に分かれて、それぞれ細胞内部の特別な場所に移動して、それぞれ別の仕事をしていることが分かってきたのです。共焦点レーザ顕微鏡を観察している間に、その新事実が見えてきました。
3)取り組んでるテーマは?
もう一つ大切な仕事として、蝶ヶ岳ボランティア診療班の運営と山岳医療指導があります。
1988年に名古屋市立大学蝶ヶ岳ボランティア診療所を創立して、それ以来学生らの指導に当っています。 山岳医療という教育科目は日本には存在していなかったから、自分の経験と基礎知識で山岳医療システムを作り出す努力をしてきました。
2010年に日本登山医学会がヨーロッパで始まった国際認定山岳医への研修制度を取り入れたことをチャンスに、自分も国際標準の山岳医療を学び直そうと思い、2013年から国際認定山岳医コースの講習会および山岳救助訓練を受けています。
受講生でありながら今ではその講習会の講師を頼まれるようになりました。さらに国立登山研修所で開催される冬期登山のファーストエイド講習会の講師も務めています。国際認定山岳医は体力のいる仕事だから、毎週鈴鹿でトレーニングをして登攀技術を磨いています。今は愛知県山岳連盟に加入している社会人山岳会にも所属してロッククライミング、アイスクライミング、冬期登山もやります。国際認定山岳医のメンバーは山岳医療の専門家として今回の御岳の山岳遭難救助隊と平行してDMAT隊として出動しました。
4)将来の夢は?
80歳ぐらいまで山に登りたいです。そして、いつかはマッターホルンに登りたいです。ロッククライミングを始めたのも、マッターホルンに登りたいと思ったからです。いま、おもに御在所の藤内壁でトレーニングしています。初めは本当に怖かったです。ほんの数mmぐらいの出っ張りに足をかけて登っていくわけですから、いくら命綱をつけているといっても踏み外したらと思うと怖いです。ところが面白いもので、1回成功すると、2回目は体が覚えているのか、よりスムーズに登れます。登れるようになったときの快感は忘れられません。腕力で力任せに登るではなく、経験がモノをいうのです。だからかもしれませんが、60~70代のクライマーも多いですよ。私は自然の中で太極拳をやっているようなものだと思っています。
【取材後記】
はじめて三浦准教授とお会いしたのは「名古屋市職員水泳大会」でした。2014年は60歳以上25m自由形部門で2位入賞の実力者です。小中高と水泳部に所属し、いまも泳いでいるというからさまになっているのも分かります。
スポーツ万能だけではなく、美術部にも属していたとのこと。いただいた名刺は御本人が描いた蝶ケ岳診療所付近の風景でした。素朴で穏やかな絵です。名刺の絵は蝶ケ岳診療所のお弁当の包み紙になっているそうです。
いろんなことに前向きに挑戦し、人生を謳歌している姿がとても印象的でした。
【関連リンク】
三浦裕准教授オリジナルWEBサイト
http://square.umin.ac.jp/miura/
名古屋市立大学蝶ケ岳ボランティア診療所公式サイト
http://www.med.nagoya-cu.ac.jp/igakf.dir/chyogatake.htm
BS-TBSテレビ ヒポクラテスの誓い「雲の上の診療所 名古屋市立大学蝶ケ岳ボランティア診療班」
http://www.mouth-body.com/hippocraticoath/archive/019/index.html
(2014年10月28日 文責:藤原)